昨日の夜のさよなら

日記を読んでいてひとつ。思考の癖のひとつに、正しくはこうではないか、とする癖があると思った。聞き入れた言葉をもう一度自分に問い正す。こうであるべきという事実、こうであって欲しいという事実、こうであったかもしれない事実、こうであるかもしれない事実、それらは全て事実ではなく、自己調和的な空想的解釈だ。事実を事実として受け入れることの困難さといったらないけれど、僕は老いていく。希望的観測によって事実を相殺することによって、弱い人はロマンチックに生きる。推するにそれはループ・オブ・どツボ。時間が堆積していくにつれ事実とロマンチック的希望の境界が薄れ、どれがそれかそれでないか分からなくなるだろうし、そもそもどうでもよくなるのだろう。おそらく、というよりも、僕は確信する。